多かれ少なかれ、職場や家庭で我慢していることはみなさんあるでしょう。では、その我慢が「意味のある我慢」かどうかを考えたことはありますか? 今回は、午堂登紀雄氏がやめるべき我慢を紹介した、
『そんな我慢はやめていい 「いつも機嫌がいい自分」のつくり方』から「はじめに」を公開します。
人生で我慢しなければならない場面は少ない
「石の上にも三年」という有名なことわざがあるように、いまの社会には「我慢・忍耐こそ美徳」という風潮があります。
たしかに人生には我慢や忍耐が必要なときがありますし、それが成功の原動力となることもあります。しかし、それがすべての場面や状況で当てはまるとは限りません。というのも、我慢には「意味のある我慢」と「意味のない我慢」があるからです。
そして本書で「やめよう」と呼びかけているのは、後者の「意味のない我慢」です。
詳細は本文でもご紹介しますが、意味のない我慢とは、自分の成長や人生の発展に貢献することなく、ただ耐え忍ぶという理不尽な我慢のことです。
たとえばパワハラ上司からの「バカかおまえ! 使えねーヤツだな!」などという人格攻撃や叱責に、ただ耐えるだけの状況を想像してみましょう。
この場合、上司の言葉には、何が問題でどう改善すべきかといった具体的な指摘や合理的な理由がないので、自分の成長にもチャンスにも結びつきません。
「へいへい、また始まったよ」などとスルーできる強固なメンタルを持った人ならともかく、多くの人は精神的に参ってしまうのではないでしょうか。
あるいは、仕事で疲れて帰ってきているのに、家族の夕食をつくって後片づけをして洗濯機を回して……とやることが山積みという状況を想像してみましょう。
ただでさえ疲れているのに、家族は「腹減ったー」「晩ごはんまだー?」と急かしてくる。食べたら食べたで食器もそのまま。掃除や洗濯も全部自分でやらないといけない……。
なのにこれらは「やって当たり前」で感謝されることもないし、お金をもらえるわけでもなく、自分だけが疲弊していく……。
こうした「意味のない我慢」を続けていると、たとえば不機嫌になったり、気分が沈んだり、ときには絶望したり、ウツになったりしかねません。
自分で自分を追い詰める我慢をやめる
そこで、自分を追い詰める我慢、自分をイライラさせる我慢をやめるのです。
たとえば、先ほどのパワハラ上司には「人格を否定するような発言ではなく、仕事の成果につながる指摘をしていただけませんか」と直談判するか、関係部署や上司のさらに上の上司に相談してみる。それでもダメなら転職するのもありでしょう。
そんなことできない?
いえいえ、会社は一日の大部分を過ごす場所ですし、仕事を通じて成長することは人生の喜びのひとつですから、安心して仕事に取り組めて、自分の才能や本領を発揮できる場のほうが望ましいはずです。
であれば、そういう環境を整えていくか、そういう環境を求めて居場所を変えるほうが生産的ではないでしょうか。
また、共働き家庭ではどうしても家事育児に追われてしまうものですが、自宅はやはり絶対的な安全基地であり、心も身体も安らげる場所にしたいでしょう。
であれば、家事の負担を減らすために、「疲れているなら無理して料理するのをやめ、外食やテイクアウトで済ませる」「週に何回か家事代行サービスに依頼してみる」などという選択肢もあっていいはずです。
お金がもったいない? いえいえ、お金は本来、自分を幸せにするための道具です。その出費の結果、余裕ある気持ちで家族と接することができたら? ゆったりと過ごせ、疲れを癒すことができたら? そうしたことにお金を使うのは合理的だと考えられます。
「我慢するのが当たり前」ではない
「いい人と思われたい、嫌われたくない」という欲求が強い人ほど、周囲の期待に応えなきゃ、周囲に合わせなきゃ、とつい我慢してしまいがちです。
すると、「無理してでもやらなければならない」「完璧を目指してがんばることが大切」「つねに全力投球すべき」「周りに合わせて自分が我慢すればいい」という価値観に支配され、窮屈で生きづらい人生になりやすいといえます。
また、無理してがんばる傾向がある人や完璧主義的な人は、それがときに自己犠牲的な生き方につながり、「なぜ自分だけが損するのか」などといった不遇な人生観を形成することがあります。
周囲はそこまで求めていないのに自分で勝手に無理してがんばって疲弊して、でもそれに値するほど評価も尊敬も感謝もされないため、徒労感や裏切られた感を生むからです。
もちろん、「ここは自分が我慢しておいたほうが得策」という判断もあると思います。 それは、我慢することによって大きなメリットが得られるわけですから、「意味のある我慢」といえるでしょう。
しかし、転職や起業を経験し、いまや経済的自由と精神的自由を獲得した52歳の私が振り返って感じるのは、人生で我慢しなければならない場面はそう多くない、ということです。
多くの人は「我慢は美徳」という価値観に染まり、我慢することに慣れてしまっているだけで、じつはしなくてもいい我慢をしているものです。
大切なのは「意味のある我慢」と、やめていい「意味のない我慢」を峻別し、「ここぞ!」というときは我慢して「がんばる」、そうでないことは「流す」「やめる」「減らす」「逃げる」を選べる知性を獲得することです。
そこで本書では、私が考える「やめていい我慢」を、仕事、人間関係、家事・生活、 育児、教育、生き方のテーマ別に紹介します。
意味のない我慢をやめれば、「すぐにイライラしてしまう自分」と決別し、「いつもご機嫌な自分」でいられるようになります。
ひいては、毎日の生活に「幸福」を感じとれるようになるでしょう。
2023年8月 著者 午堂登紀雄